偏差値40中3が1か月で偏差値を30上げて慶應志木高に合格する話.8
まず、私が見ていた生徒を出来るだけ他の講師に振り分け、私の体を空けることを最優先に組み立てました。
当時の国分寺教室のスタッフも変わらず、優秀な講師が多かった。
東京大学、一橋大学、横浜国大、慶応医学部、等・・・
なので、当時多数在籍していた国分寺高校など できれば見たかった子たちも安心して割り振っていけました。
それでも、どうしても振り分けられない子達をどうするか。
具体的には やはり受験生で中央大学附属高を受験予定のSちゃん、結局無事合格しましたが、この子もこの時点では 成績的にかなりヤバかった。
ちなみに、その後、中附から初めてという優秀な大学に進学 国分寺教室の講師として活躍してくれました。✨
それから、新所沢教室に通っていて国分寺にある早実中に合格し、その後 国分寺教室に移籍したDちゃん。
言ってみればTくんの後輩であるこの子は Tくん復活に何かしら役に立つかもという思いから・・・
そんな理由でとりあえず、この子たちの数学の授業だけは保留にしておきました。
その後、慶応医学部の講師に見させた塾高のSくん、この子も結局見ないといけないことになりました。
”先生 あの子は無理です” 講師の先生にそう言われてしまいました。
自分の進学大学の医学部の子が見るんだから十分だよね と思っていたのですが、暫く見るのが私じゃないとわかったらやる気をなくしてしまったようです。
この子はマンツーマンの契約で拘束時間が長く、これは かなり後のスケジュールに影響しました。
これで一応の体制は整いましたが、スタートは冬期講習が始まる直前 12月半ばになっていました。